復活節第三主日 説教

4月26日・復活節第三主日 ルカ24章13~35節  緊急福音宣言を発出する

 今日の聖書の箇所はエマオへ向かう弟子たちにイエスが現れた場面です。ルカの福音では、復活したイエスが初めて登場します。
 最初、弟子たちはイエスであることに気づきませんでした。「目はさえぎられていて」ということですが、今まで一緒に暮らしていたのに、どうして主だと気づかなかったのでしょうか。姿が違ったのでしょうか。
 これは、むしろイエスと弟子との関係を表しているといえるでしょう。十字架の死によってイエスと弟子たちは断絶してしまいました。弟子たちは、イエスが殺されるとき、逃げ去ってしまったのです。自らイエスとの関係を断ってしまったのでした。
 しかし、イエスは歩きながら弟子たちに語りかけ、聖書を説明されます。そして、食事のとき、パンを裂いて渡されたときに二人はイエスだと気づくのです。

 この一連の出来事は、イエスと弟子たちが関係を回復するプロセスであるといえるでしょう。イエスの言葉は福音宣教であり、食事は最後の晩餐を思わせます。イエスは弟子たちを呼び集め、いっしょに宣教生活を行い、十字架の死を迎えるまでの関係を繰り返されたのです。復活されたイエスがもう一度弟子たちを呼び集められたといってもいいかもしれません。
 十字架の死はイエスと弟子たちだけでなく、弟子たち同士にも断絶をもたらします。先週の福音で「トマスがいなかった」ことも、二人の弟子がエルサレムを離れてエマオに向かっていたことも、ヨハネの福音でペトロたちが漁師の生活に戻っていたこともそれを表しているといえます。しかし、復活されたイエスと出会った二人はエルサレムの弟子たちのもとに戻ります。イエスの復活は断絶を一致に変えてくださるのです。

 現在のわたしたちは、感染拡大の中で断絶を余儀なくされています。例年なら、今日の福音もミサを通して復活されたイエスと出会うことを教える箇所として、ミサの中で味わいたいところです。しかし、集うことができなくても、わたしたちとイエス、私たち同士は断絶しているのではありません。心はつながっています。イエスだと分かったときに姿が見えなくなったのに、二人の弟子は悲しんでいません。それどころか、他の弟子たちに、イエスの復活を告げるために急いで戻ります。イエスの姿が見えなくなったときに、弟子たちの心にイエスが来られたからではないでしょうか。

 東京教区の晴佐久神父は、緊急事態宣言の出ている今こそ「緊急福音宣言」のときだ、と言われています。福音宣言はイエスの復活を宣言することです。わたしのところにイエスが来てくださる、ということを信じること自体が宣言となります。そして、祈りをもってイエスの福音を発出していくことができるのです。

(柳本神父)