年間第32主日

11月10日 年間第32主日 マルコ12章38~44節 神にすべてをささげるしるし

 今日の福音もエルサレムに入られてからの出来事です。神殿の境内で教えておられたとき、一人のやもめの献金を見て語られた内容です。

 短い形では省略されますが、その献金の前には律法学者に対する非難が語られています。彼らは人の前で偉そうに振る舞い、自分が人よりも立派な人間であるということを誇示し、それを誇りにしています。イエスはそのように自分と人を比べて差別化することが、神の思いから遠いことを伝えられます。そして、「やもめの家を食い物にし」ているということです。彼らは遺産相続などの裁定も行っていたので、弱い立場のやもめたちを苦しめていたのかもしれません。
 その「やもめ」ですが、夫と死に別れた女性のほか、10月6日の福音にも出てきた「夫に離縁された女性」も含まれます。あるいはいろいろな理由で独身生活を送る女性も含まれているかもしれません。いずれにしても、当時は女性の仕事がほとんどなかった時代なので生活は厳しい状況でした。ちなみに日本語で男性の場合は「やもお」というそうですがほとんど聞いたことがないですね。それよりも「男やもめ」のほうがよく使われるようです。「男やもめにうじがわく」などと言われますが、わたしも台所でゴキブリをよく見かけるので気を付けたいものです。ゴキブリホイホイも置いているのですが…。
 その女性が全財産を神殿のさい銭箱に入れます。イエスがそれを見て「全財産を入れた」というのはちょっと不自然ですが、なけなしのお金を入れたと感じられたのでしょう。全財産といっても1クァドランスは100円足らずですから、ほんのわずかです。持っていたとしてもすぐに使い切ってしまうでしょう。それよりも神にささげたほうが役に立つと考えたのでしょうか。いずれにしても、彼女には神に対する大きな信頼があることは間違いありません。お金の問題というよりも、心の中に神の存在がどれくらい大きな割合を占めているかを表しています。それに対して、お金持ちの献金のほうが金額は大きいですが、お金や地位など、ほかに頼るものを持っているので、心の中で神の占める割合は財産全部とくらべた献金と同様に低いものでしょう。

 この女性はなけなしの財産をささげてしまいました。明日からの生活はどうするのでしょうか。もともと収入がないに等しいやもめですから、親せきや周りの人から食べ物を分けてもらって生活をしていたと思われます。先日の物乞いをしていた盲人と大きく変わらない不安定な生活だったことでしょう。しかし、彼女は「神が何とかしてくださる」という思いで献金したと思います。神が周りの人を通して助けてくださるということに信頼していたのではないでしょうか。
 このあと、イエスは受難の道を歩まれます。そこには父に対してすべてをささげる深い信頼があります。この女性の姿はその先取りであるといえるでしょう。

(柳本神父)

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