年間第33主日
11月17日 年間第33主日 マルコ13章24~32節 わたしの言葉はけっして滅びない
年間第32主日から年間最後の主日である「王であるキリスト」までの三週は「終末主日」と呼ばれ、世の終わり(終末)についての典礼となっています。先週の福音は「やもめの献金」だったのであまり終末っぽさはなかったのですが、来週に向けて、今日ははっきりと世の終わりについて語られています。
第一朗読のダニエル書と福音の内容は共通しています。いずれも世の終わりの前には天変地異や苦難が起こるということが述べられています。世の終わりは「ハルマゲドン」という言葉で表現されることもあり、滅亡のイメージが強いです。ハルマゲドンは黙示録に記されている、悪霊と神との最後の戦いの場所のことですが、「メギドの丘」という実在の場所です。「ハル」が丘なので「ハル+メギド」が語源だそうです。日本語表記にすると「○○丼」や「西郷どん」などを連想してしまい、ちょっとのんきな感じになりますね。一方でオカルト好きの人々の間では聖書から離れて大げさに語られることもあります。日本人はオカルトに影響されやすいようで、ノストラダムスの大予言によって1999年7月に世界が滅びると本気で信じていた人もいたようですね。
ではイエスや黙示録の著者はおどかそうとしてこのような内容を語り、記したのでしょうか。たしかにイエスは、天変地異が起こり、天地は滅びる、と言われています。しかしこれは新しい世界の始まりを表しています。新しい家を建てるためには古い家を壊さなければなりません。けれども人は、新しい家ができるのを喜びます。古い家にこだわる立場からするとそれは滅びです(文化財的価値がある場合はともかく)。
わたしたちの住み慣れた社会が続いてほしいと思う人もいるでしょう。しかしそれは社会の中で恵まれている人々です。貧しい人々、苦しみを受けている人々、犠牲を強いられている人々はこの社会のあり方が変わることを望んでいます。イエスが伝えた神の国の実現とは、このような人々が幸せに生きていける新しい世界の到来を意味しています。
初代教会においては、迫害が始まり、イエスを信じることが苦難を伴う時代になりつつありました。第一朗読のダニエル書の時代も、ヘレニズム文化と宗教を強制するセレウコス王朝によって、ユダヤ人に対する迫害が起こった時代でもありました。それらの時代にあって、これらのみことばは苦難の先に新しい時代が必ず来るという希望と励ましであったのです。
今のわたしたちにとって、宗教的な迫害はないかもしれません。けれども、今の時代においても、信仰を保ち続けることにはさまざまな困難が伴います。何よりも、今の社会の犠牲になっている人々が苦しみからの解放を切望しています。わたしたちが望むのは滅びではなく新しい世界です。その実現は遠い道のりかもしれませんが、「わたしの言葉は決して滅びない」というイエスの言葉に希望をもって歩みましょう。
(柳本神父)