年間第15主日
7月14日 年間第15主日 マルコ6章7~13節 宣教の免許皆伝
先週に続く箇所でイエスは弟子たちを宣教に派遣されます。その際の指示、いわば旅行前の説明会のようなものですね。そこでイエスが言われる注意事項には「宣教とは何か」が表されているようです。
まず、この派遣はマルコの福音でも前半の部分に記されています。15章あるうちの6章ですから、比較的早い時期だったと思われます。ではこの時点で弟子たちはイエスの教えを十分理解していたでしょうか。マルコの福音を見ていくと、このあとイエスは「まだ悟らないのか」と言われます。ペトロに「サタン、引き下がれ」と言われるのもこの後のことです。まだ悟っていない弟子たちに宣教を任せて大丈夫なのか?と思いますね。ふつうは華道や日本舞踊のように、先生のもとで学び、修行して、お免状をもらったり、名取になったりして初めて人に教えることができるものです。いわゆる免許皆伝ですね。またまた子どもの頃の話で恐縮ですが、忍者物のアニメの最後に「忍術○○流免許皆伝」という人が出てきて忍術の解説をしていました。わたしは「免許回転」って何?と思っていました。忍者にも免許がいるんですね。
では宣教の免許皆伝でないと思われる弟子たちを、イエスはなぜ派遣されたのでしょうか。そして弟子たちは何を伝えに行ったのでしょうか。その答えはイエスの注意事項の中にあります。まず「二人ずつ組にして」。これはおたがいに助け合い、協力することの大切さと、宣教が共同体で行われることを示しているのでしょう。「杖一本のほかには何も持たず」。これは厳しい指示ですね。わたしたちは旅行前に必要なものをチェックします。これも必要、いやいらないかも、とスーツケースの中身を入れたり出したり…。しかしイエスはお金も食べ物も持って行ってはならないと言われます。それでは旅行できないですね。となれば、行く途中、行った先で出会った人々に助けてもらうしかありません。それでイエスは「その家にとどまりなさい」と言われます。宣教に行った先で、出会った人の家に泊めてもらい、食事もいただいてお世話になるためには、その人と仲良くならなければなりません。そのときに二人でいることも役立つでしょう。おたがいにフォローしあってその家の人とコミュニケーションを深めることができるかもしれません。そして何よりも、「福音」―喜びのことば―を心から伝えることが必要です。その意味では、宣教とは福音を通して友達を作るということだといえるでしょう。
わたしたちも弟子たちと同様に宣教の使命を与えられています。弟子たちには失礼ですが、わたしたちも同じく免許皆伝ではありません。「イエスの教えとは」を説明して回るのが宣教ではありません。出会いの機会は神さまが用意してくださいます。友達に聞かれたとき、「わたしは神さまはいると思ってるよ」「教会に行ってよかったと思ってるわ」で十分です。うれしい気持ちを伝えることが宣教なのです。
(柳本神父)