年間第31主日
11月3日 年間第31主日 マルコ12章28~34節 隣人を愛することは神を愛すること
今日の福音はイエスがエルサレムに入られてからの出来事です。四旬節ではないのでエルサレム入城や神殿から商人を追い出す場面は読まれません。イエスはエルサレムの神殿で祭司長、律法学者、長老、ファリサイ派の人々など、当時の権力者たちと論争されます。
「最も重要な掟」についての律法学者との問答は、マタイ・マルコ・ルカのいずれにも記されています。同じ出来事があったのでしょうが、おもしろいことに三つの福音のイエスの教えは同じですが、パターンが微妙に違っています。マタイでは律法学者は敵意むき出しで試そうとして尋ねます。ルカでもイエスを試そうとして質問しますが逆にイエスから答えを求められます。また、ルカのみはエルサレムに入る前の出来事です。
今日の律法学者はイエスの受け答えに感心して尋ねているので敵意はなさそうです。そしてイエスの答えに全面的に賛同しています。イエスは「あなたは神の国から遠くない」と言われるのは、この二つの掟が神の国への道であることを伝えておられるのでしょう。
律法学者やファリサイ派の人々にとって、モーセ五書に記されている掟はどれも大切であって、彼らは特にそれらの細かい掟とさらに言い伝えとして加えられた規定を守ることを誇りとしてきました。ですから、この律法学者が「二つの掟がとくに重要である」という教えに賛同したのは異例のことであったと言えるでしょう。
ではなぜこの二つが重要なのか。それは、律法そのものが神の思いを大切にするための掟であって、それを守ることが目的ではないからです。第一に、神を愛すること。それは神を大切にすることでもあります。そして神を大切にするにはどうしたらよいかの答えが第二の「隣人を自分のように愛しなさい」です。ルカでは「隣人とはだれですか」という問いに対してイエスは「よいサマリア人のたとえ」を語られます。
ところで、日本各地には「住みます芸人」というのがあって、奈良県には「十手リンジン」というコンビがいます。ときどき奈良テレビにも出られてますね。「十手」は二人の名字の組み合わせ、「リンジン」はもちろん隣人ではなく、おそらく奈良で結成されたグループの「ジッタリン・ジン」をもじったものでしょう。奈良の芸人さんですから「リンジンを愛しなさい」と言おうと思ったら、昨年末から「リンジン」をコンビ名からはずしたそうです。これで言えなくなりました。
神はわたしたち人間をお造りになりました。そしてわたしたちひとりひとりを愛しておられます。神が愛されている人間がたがいに争い、資源や富を独占しようとし、神が造られた自然をないがしろにするとき、神は悲しい思いをされるに違いありません。そして、小さな命、社会の底辺にいる人々、体の不自由な人、苦しみを受けている人々がないがしろにされていることも神の望みではありません。ですから、まず自分のまわりの人々を愛し、社会のあり方を変えていくことこそが神の愛に応えることなのです。
(柳本神父)