年間第30主日

10月27日 年間第30主日 マルコ10章46~52節 先生、目が見えるようになりたいのです

 いよいよイエスと弟子たちはエルサレムへ向かいます。それは復活の栄光への道でしたが同時に受難への道でもありました。弟子たちは不安を胸に旅をしていたのではないでしょうか。その途上、エリコの町での出来事です。目的地エルサレムへはあと30キロほどのところまで来ていました。

 9月には耳が聞こえず、舌の回らない人がいやされる奇跡がありましたが、今日の主人公は目が見えない人です。この人は目が見えないため、働くことができないので物乞いをして暮らしていました。耳が聞こえない人は情報が入ってこないのでイエスのことを知らず、周りの人が連れて来たのですが、この人はイエスのことを耳で聞いて知っていたのでしょう。イエスがエリコに来られたと聞くと千載一遇のチャンスとばかりにイエスのもとに向かいます。人々は追い返そうとしますがイエスはこの人が叫んでいるのを聞いて、「呼んできなさい」と人々に言われました。
 この人は「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫んでいました。「ダビデの子」はイスラエル王国を再建する王、メシアの称号です。おそらく人々がそう言っているのを聞いて叫んだのでしょう。「わたしを憐れんでください」とは、「みじめなわたしを気の毒だと思って恵んでください」という意味でしょうか。彼が物乞いをするときの言葉だったかもしれません。まさか「右や左の旦那様」とは言っていなかったとは思いますが。
 イエスは「何をしてほしいのか」と尋ねます。「目が見えるようになりたいのです」という答えは最大の願いだったことでしょう。わたしはここに「自分は目が見えないからこのようさげすまされている。目が見えるようになればみんなと同じように、いや、みんなよりもいっぱい働くのに」という思いを感じます。
 イエスは彼をいやし、「行きなさい」と言われますが、彼はイエスに従ったということです。「なおも道を進まれる」という表現には受難への道をともに歩んだことが示されているのかもしれません。

 この出来事はマタイとルカの福音書にもありますが、バルティマイという名が記されているのはこのマルコのみです。十二使徒ではありませんのでプラスアルファの弟子だということですね。なお、十二人の中にバルトロマイという弟子がいますが、名前は似ていますが別人です。マッカーサーとマッカーシーみたいなものでしょうか。
 わざわざ名前が記されているということはマルコの福音書を編集したグループにこの人のことが伝えられていたからだとも考えられます。いずれにしても、この人が初代教会において何らかの役割を果たしていた可能性があります。そうだとすると、バルティマイはイエスにいやされて教会で働くことになったのでしょう。このように、イエスは心の叫びを聞き入れ、神の国のために働けるようにしてくださるのです。

(柳本神父)

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