年間第28主日

10月13日 年間第28主日 マルコ10章17~30節 金持ちは神の国に入れないのはなぜか

 先週に続く今日の箇所は、お金持ちの人との対話とそれに続く教えです。豊かな人には厳しい教えですが、イエスはここから神の国のあり方を示されます。

 この人はイエスのことを「よい先生」と呼びます。兵庫県の中央部に「しそう よい温泉」というのがあります。良い温泉かと思ったら宍粟市の与位(しそう市のよいという場所)にあるからだそうです。もちろん、良い温泉だという意味も兼ねているのでしょうが。それはともかく、イエスは「よい」のは神おひとりだけだ、と告げられたうえで神の掟を引用し、それについて「あなたは知っているはずだ」と聞かれます。
 彼は十戒に記されている掟を守っていると言います。それでもあえて「永遠の命を受け継ぐ」ために何が必要かと聞いたのは、ほめてほしかったからでしょうか。それとも、守っているけれどもさらに完璧を求めていたのでしょうか。
 しかし、最初の質問のときにイエスはなぜか「最も大切な掟」であるはずの第一の掟、「神を愛すること」、そして第二の掟の「隣人を自分のように愛すること」については触れられませんでした。それについてはそのあとで述べられています。「持っている物を売って貧しい人に施し」「わたしに従いなさい」と告げられます。実はこれが最も大切な掟にあたるのです。
 イエスは父が愛するひとり子ですから、イエスに従うことは神を愛することになります。「従う」とは弟子のようにそれまでの生活を捨ててイエスについていくことですが、イエスの教えに従うことも含まれているでしょう。イエスの教えは父の愛を伝える教えであるからです。そして財産を施すとは、隣人愛とつながります。隣に飢えている人がいるのに財産にこだわることはそれと相いれません。そしてその人は悲しんで立ち去りました。財産を失うことは考えられなかったからです。
 そしてイエスは、「金持ちが神の国に入るよりもらくだが針の穴を通る方がまだやさしい」と言われます。らくだが針の穴を通る方がまだらくだ、つまり金持ちが神の国に入るのは不可能だということです。イエスの時代、金持ちになれるのは神の祝福のしるしだという考えがありましたから、弟子たちも驚いたのでした。

 「神の国」は死後の世界のことではなく、この世に実現するものです。イエスは貧しい人や体の不自由な人がまず神の国に迎えられると教えられました。「家、兄弟、姉妹、母、父、畑を捨てた者」には自分から捨てる人だけでなく、災害や戦争で奪われてしまう人も含まれるでしょう。そのような人々の中に、お金持ちが財産を、独り占めをして入って来ることはできません。イエスはこのように神の国のあり方を教えられたのです。
 生活するために財産は必要です。けれども財産にこだわると神の国が見えなくなります。社会を神の国に近づけるために教会は何ができるでしょうか。

(柳本神父)

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