年間第29主日

10月20日 年間第29主日 マルコ10章35~45節 神の国の価値観を受け入れる

 今日の福音はイエスの三度目の受難予告とそれに続く内容となっています。これが最後の受難予告で、このあとイエスはエルサレムへと歩まれます。

 三度の受難予告について、マルコでは同じようなパターンが繰り返されています。すなわち、イエスが受難の予告を告げられる→弟子たちはそれに反することを考える→それに対してイエスは神の国を受け入れるよう告げられるという形です。一度目はペトロがイエスをいさめ、二度目では弟子たちが「だれがいちばんえらいか」と議論しました。
 今日の福音では、ヤコブとヨハネの兄弟が、イエスが王になられたときに一人を右に、もう一人を左に座らせるよう願います。二度目の弟子たちの議論と共通する内容ですが、ここで彼らはイエスがこの世の栄光を受けることを考えているようです。「栄光を受ける」とは天における栄光よりもこの世の栄光、イスラエルの王となることを期待しているのかもしれません。それなら左右に座るということは右大臣、左大臣の役目になるということですね。イスラエルでは神や王の「右の座」は次に偉い人が座る席です。左の座はその次なので、彼らはほかの弟子たちより偉い立場を願っているということです。
 ちなみに日本では左のほうが上位なので、左大臣が総理大臣、右大臣が副総理にあたる役職です。冠位も左大臣のほうが上です。余談ですが、京都市の左京区と右京区は地図上では左右逆ですね。これは南面している紫宸殿の天皇さんから見て左を左京、右を右京と呼ぶからです。なので、左大臣も天皇さんの東に座ります。左大臣・右大臣もいらっしゃるひな人形を飾るときには左右をお間違えなきよう。
 ほかの弟子たちは二人の願いを聞いて腹を立てます。出し抜かれた形ですからね。でもそれを悔しいと思っているならば同じ価値観にとらわれていることになります。そこでイエスは神の国の価値観を弟子たちに告げられるのです。それは「偉くなりたい者は皆に仕える者になりなさい」という教えでした。これもまた、二回目の受難予告のあとに言われたことと共通します。いずれにしても、弟子たちが願っている「偉い立場」はこの世で多くの人々が望むものであるのに対し、神の国ではその逆であると教えられるのです。

 「仕える者」というとみんなのためにたくさん奉仕して働く人を考えます。そういうことも含まれるのでしょうが、神の国には体の不自由な人や貧しい人、子どもたちなど、働くことのできない人々が先に招かれています。イエスは「多くの人の身代金として命をささげる」ために来た、と言われます。現代では身代金というと誘拐事件や人質を思い浮かべますが、イスラエルでは奴隷を解放するために支払うお金を意味します。まさにイエスの十字架はわたしたちを罪から解放するための身代金であったわけですが、この世で苦しみを受けている人も利益や権力を求める社会の犠牲となっています。イエスに従うためには神の国の価値観を受け入れることが求められるのです。

(柳本神父)

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