主の昇天

5月12日 主の昇天 マルコ16章15節~20節  イエスの姿は見えなくなった

 今日は主の昇天の記念です。イエスは復活し、今日の第一朗読によれば四十日間弟子たちに現れ、天に昇られました。それで本来は復活から四十日目の復活節第6木曜日が「主の昇天」ですが、日本では次の日曜日に祝われます。

 イエスの昇天の出来事は、マルコ福音書のほか、ルカ福音書と使徒言行録に記されています。今日の福音では、イエスが現れて弟子たちに派遣の言葉を告げられたあと、天に上げられます。そして弟子たちは宣教に出かけ、イエスがともに働かれたという内容が記されています。ここにはイエスの復活のあとの出来事が簡潔に述べられていますが、教会の典礼と合わせて考えると、聖霊降臨が抜けているように思いますね。これについては後ほど考えることにしましょう。
 まずいちばん大きな問題は「イエスはどこに行ったか」ということです。文字通り考えると天に行ったということですが、では空の上でしょうか。飛行機やロケットで空の上に行けば天国が見られるかというとそうではないですね。昔の人は空の上に行くことができなかったので、雲の上に神の居場所があったと考えていたのでしょう。日本でも神話の神さまは雲の上の高天原(たかまがはら)にいらっしゃいます。でも御所市の葛城山のふもとだという説もあるようですが。奈良教会の近くにも高天交差点がありますし。いずれにしても、「天」とは神さまの住む場所のようです。
 そしてそのあとには「主は彼らとともに働き」とあります。「天に昇ったんとちゃうんかい!」とツッコみたくなりますね。そう、実はここに聖霊降臨がさりげなく書かれているのです。ということは、イエスは霊として弟子たちの宣教をバックアップされていたということになります。「天」が神のおられる場所だとすると、この場合は弟子たちの心の中に天があるといってもいいのではないでしょうか。
 イエスは「神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17章21節)と言われました。わたしたちが求める「神の国」はどこか遠くにあるものではなく、遠くからやってくるものでもなく、わたしたちの間に芽生え、育っていくものだということです。そしてそこには主がおられます。「間に」というのですから、人と人の間とも考えられます。弟子たちは人に神の国の福音を伝えました。そこに神の国があり、主がいらっしゃるのです。

 第一朗読では「彼らの目から見えなくなった」と書かれています。見えなくなったのは遠くに行ったからではなく、霊として弟子たちの間におられるようになったからではないでしょうか。
 イエスは「信じない者は滅びの宣告を受ける」と言われます。厳しいことばのようですが、裏返せば、信じない者はいなくなるという意味だとも考えられます。イエスはすべての人を神の国に招いておられ、そこで待っておられるからです。

(柳本神父)

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