年間第11主日
6月16日 年間第11主日 マルコ4章26~34節 神の国は知らない間に大きくなる
今日の箇所は先週から少し飛んで、神の国についてのたとえです。イエスは神の国について種に関する二つのたとえで説明されました。最初は成長する種のたとえで、知らないうちに大きくなっているということです。もう一つはからし種のたとえでごく小さな種が大きく育つという内容です。
まず、からし種のたとえから見ていきましょう。からし種というと粒入りマスタードのつぶつぶを思い浮かべられるかもしれませんが、あのつぶつぶは種ではなく種の種皮です。さらにマスタードや辛子を作る種を蒔いても木にはなりません。それらはアブラナ科の植物で、菜の花に似ているそうです。これでは鳥も巣を作れませんね。ということで、イエスのたとえに出てくるからし種はマスタードや和辛子を作る種とは種類が違い、クロガラシやキダチタバコではないかと言われています。これらは種は小さいのに、木は大きくなるということです。このように、神の国は小さい種のようなものが大きくなるものだと言われます。小さい神の国の種とはどのようなものでしょうか。
神の国の始まりはイエスの福音と考えられるでしょう。では福音はどのように伝えられたでしょうか。それはルカの福音で、宣教を始めるに際してイエスが読んだイザヤの預言に「貧しい人に福音を」と記されているように、まず貧しい人々に福音が伝えられました。今でこそ、イエスは神の子で救い主であるという福音書の視点で見るので、イエスの宣教の始まりは大きな出来事のように考えてしまいますが、それは社会的弱者に対して行われたものであり、人々にとっては取るに足りない小さなものであったということです。つまり、イエスの神の国の宣教もはじめはごく小さな出来事でした。それが今、弟子たちの宣教から各地に広がっていき、今や世界中に大きく広がっているといます。これは福音の種が大きく育つという一つのしるしです。
しかし、教会が大きくなれば神の国になるというのではありません。たしかに聖霊を受けた弟子たちはイエスを信じる人々を増やし、教会を始めました。しかし、教会の目的はこの世界に神の国を広げていくことです。もちろん教会も小さな神の国の一つですが、神の国の種が蒔かれているのは教会の中だけではないのです。
神の国の芽は小さなものなのでなかなか見つけることができません。けれども、神はこの世のあちらこちらに神の国の種を蒔いておられます。なかなか見つからないかもしれませんが、キリスト者の役割は、それらの芽を見つけ、しおれないように水をやり、育つように奉仕することです。
現代の社会状況を見ると、戦争や人権侵害、政治の腐敗など、失望してしまいがちです。しかし、神は、わたしたちの知らない間に神の国の種を育ててくださいます。その言葉に希望を持って、身近なところから神に国を前に進めていきましょう。
(柳本神父)