三位一体の主日

5月26日 三位一体の主日 マタイ28章16~20節 ともにいるための神秘

 先週の聖霊降臨で復活節は終了し、年間に入りました。そして年間第七主日にあたる今日は三位一体を記念します。聖霊が登場して三位の神が出そろったので、ということもあるかもしれませんが、三位の神による救いの神秘を記念する日であるということができるでしょう。

 三位の神による祈りというと、最も短い祈りと言われている「父と子と聖霊のみ名によって、アーメン」という祈りです。わたしが小さい頃は親から、「ほら、ちーとことお祈りしときなさい」とよく言われたように思います。子どもなので「父と子と」が「ちーとこと」になったんですね。また、幼稚園の子どもたちを見ていると、十字を切るときにおでこ、左肩、右肩と三角に切る子をよく見かけます。本来の意味からははずれますが、三位一体の祈りと考えるとあながち間違っていないかも、とほほえましく見ています。
 今日の福音はマタイの最後の部分、弟子たちに派遣の言葉を述べられる場面です。マルコとルカではこのあとイエスは天に昇られます。その意味ではイエスが最後に言い残した重要な言葉だということができます。
 その中でも印象的なのが「わたしは世の終わりまでいつもあなたがたとともにいる」という言葉です。「世の終わりまで」ですから「あなたがた」は弟子たちだけでなく、その跡を継いだ人々、つまり代々にわたってキリストを信じるすべての人々に向けての言葉であるということができます。もちろんわたしたちもその中に含まれています。
 マタイの福音書では、最初にイエスの系図、そしてイエス誕生の次第が述べられています。そこに「インマヌエル」という呼称が出てきます。それは「神は我々とともにおられる」という意味だと説明されていますが、マタイの福音は「インマヌエル」に始まり、「あなたがたとともにいる」で終わっているということです。それがマタイの福音のテーマだといっていいでしょう。しかし、マタイに限らず、イエスの教えと生き方自体が「あなたがたとともにいる」ことを表しています。貧しい人々や排除されていた人々にイエスは、「神はあなたがたのような人々とともにおられるのだ」ということを告げ、ご自身もそのような人々とともにいる姿を示されたのです。

 三位一体の神を信じるというと、神はどのように三位であるか、三つのペルソナはどのようにつながり分かれているのか、ということを理解することのように考えるかもしれません。しかし神が三位であるということは、わたしたち人類を招くための神秘であるということができるのではないでしょうか。人類をお造りにならなければ神は三位である必要はなかったでしょう。そして神は一人子を遣わし、救いを成し遂げ、聖霊を送ってわたしたちを導いてくださいます。ということは、三位一体の神秘はわたしたちと「ともにいる」ための神秘だということなのです。

(柳本神父)