キリストの聖体の主日

6月2日 キリストの聖体の主日 マルコ14章12~16、22~26節 ともにいるための秘跡

 今日のタイトルを見て、「先週と同じやんか!さては先週の原稿を上書きするときに間違ってそのままにしていたな?」と思った方もおられるかもしれませんが、よくごらんください。先週は「ともにいるための神秘」、今週は「秘跡」です。もっとも日付とかときどき間違えますけどね。
 教会は三位一体の主日の翌週にキリストの聖体を祝います。本来は木曜日ですが日本などでは日曜日に移して記念します。

 聖体の記念というと聖木曜日の最後の晩さんの記念をまず考えますね。今日もマルコによる最後の晩さんの箇所が朗読されます。しかし、復活節が終わって年間に入っている今日に記念するのには大きな意味があります。
 最後の晩さんは「過越の食事」でした。除酵祭の初日にはその食事をするのですが、もともと除酵祭は古い酵母を取り除くための期間でした。家じゅうを掃除して古い酵母を取り除き、一週間は酵母が入っていない種なしパンを焼いて食べます。そのあと、新しい酵母でパンを焼くことができるのです。種なしパンはエジプト脱出の際に焼いたので除酵祭は過越と結びつけられて祝われるようになったのでしょう。
 イエスはこの食事を弟子たちとの別れの食事とされました。しかしその際に「これはわたしの体である」「わたしの血である」と言って与えられました。教会はイエスの死と復活を「新しい過越」と呼びますが、イエスはこの食事を旧約の過越の記念ではなく、ご自分の死と復活の記念として行われました。聖体の秘跡はそれを受け継ぐものです。それでミサの奉献文ではこのイエスの言葉を司祭が唱えます。そして聖体はイエスの体として信者に与えられます。では聖体の恵みはなんでしょうか。伝統的に教会ではいただくことによってキリストとの一致の恵みが与えられることを強調されてきました。それはもちろんですが、ではいただく人だけが恵みを受けるのでしょうか。
 ミサ典礼文では、聖体制定の言葉のあと、会衆は「主の死を告げ知らせ、復活をほめたたえよう、ふたたび来られるときまで」と答えます。聖体をいただく人は主の死(と復活による救い)を告げ知らせなければならないのです。今日の福音のイエスの言葉でも「これは多くの人のために流されるわたしの血」であるとはっきりと言われています。つまり、イエスの死と復活による救いは多くの人=すべての人のためのものですから、それを伝える必要があります。それは、「あなたはイエスの十字架によって救われていますよ」とい告げることなのです。

 復活節後の年間は、聖霊降臨後の弟子たちのように、イエスの救いを告げ知らせる教会の宣教を記念します。そのときに神がともにいて励まし、働いてくださいます。そのしるしが聖体の秘跡、まさに「ともにいるための秘跡」なのです。

(柳本神父)

主日のお知らせ

前の記事

三位一体の主日